美しい日本語、日本の歌声

AKB48と中原美佐緒



文藝春秋平成14年9月増刊

 

��.美しい日本語について

 日本語、それによってわたしたち日本人固有の伝統と文化が連綿と受け継がれてきました。日本語は日本人そのものなのです。わたしたち日本人にとって何より大切なその日本語が、二十世紀半ば、敗戦によって破滅的危害に遭ってしまいました。「複雑すぎる漢字や、文字と発音が一致しない歴史的仮名遣ひ(旧かなづかい)など、旧弊な日本語は「”文化国家”になるには不都合だ」、などという占領軍の意見に乗せられた国語学者らが”日本語改革”なるものにに取り組みました。その結果、伝統的な国語が現在使われている常用漢字(新字体)、新仮名遣いの新しい日本語に強制的に置き換えられることになりました。日本語をローマ字表記にするなどという国語の根幹に関わるところまでは踏み込まなかったのがせめてもの救いでした。ですから、幸か不幸か新しい日本語は切れ目なく戦前からの国語を引き継だかに思えました。たしかに、平成の現在わたしたちが使っている新字体と新仮名遣いは庶民の日常生活に何の不都合ももたらしていないかに見えます。

 だからといって喜んでばかりは居られません。敗戦時の国語大改革は、日本語の土台までは変えませんでしたが、日本語の持つ潜在能力(potential)を減らし、日本文明の一部、それも大黒柱を削ぎ落としてしまいました。日本語、つまるところ日本人は文明的にひ弱になり、壊されやすくなってしまったのです。まず、使える漢字が減りました。孫が一年生になったとき、わたしは、小学生が六年間に習う漢字1006文字の音(おん)と訓の読み、語源などのデータ・ベースを作ってみました。この作業をやってみて新字体(略字)のつまらなさを改めて思い知りました。新字体の多くは(元の本字と違い)意味のないただの”記号”に過ぎないのです。このページの冒頭の写真に見える”文藝春秋”の「藝」の字には”人が若木を持つ”という意味があります。この字の構成成分の”丸”は人の象形だとされています。そこまで知る必要はないにしても、今の子ども(*註)たちが古事記の時代から昭和までの書物を読むためには、略字「芸」に加えて、改めて本字”藝”を学習し直さなければなりません。文字を恣意的に変えるというのはそういうことなのです。現代の中国人が発明した”変な文字(簡体字)”を嗤っている資格はないのです。

 加えて仮名遣いも旧仮名遣いのほうが優れていました。旧仮名遣いには日本語の発音を容易には”揺らさない”力がありました。新仮名遣いにはそれがありません。実例は本文�兇脳匆陲靴泙靴腓Α�

  それでも文字には全国民が共有する強固な客観性があるのに対して、話し言葉は身近な人を真似て習うため ”崩れ”やすいという宿命があります。子どもはまず親の言葉を真似して育ち、長じては友達の言葉や学校の先生、さらには、地域社会や現代ではテレビなどマスメディアの言葉にも影響されて自らの”ことば”を獲得してゆきます。成人しても誰かの話言葉を真似しようとする人間の本質は変わりません。おりしも、ある政治家が、「ミゾーユウ」と言ったがために、多くの人が”「未曾有」を「ミゾーウ」と読むべきか「ミゾウ」でよいのか一瞬迷うことになりました(「ミゾウ」が正解)。別の例ではどこかの府知事が「ミミザワリガヨイ」と演説したがために、かなりの人が「耳障り」と「肌触り」を混同しそうになりました。前者は文字は習ったものの人の言うことはちゃんと聞かない人の例であり、後者は、初めから文字のない世界に住んでいる人のことばです。現代ではこのようなルートでも間違った日本語が耳に飛び込んでくるので日々油断できません。

 ついでながら、聴感上不愉快な造語というものがあります。政治家がよく使うゴギロン(ご議論」、テレビ・コマーシャルで押しつけがましく繰り返される「コノカカクデス(この価格です)」や、「カバライキン(過払金)」となどというのを耳にして、まさしくそれらが耳障りだと感じないとしたら、あなたの耳か頭はどうかしています。さらについでながら、物事を割り切って言うとき、「ザックリ」というオノマトペ(擬声語)を聞かされて寒気がしなかったらあなたは”無神経”です。

 このように、多くの場合無知、無教養、あるいは尊大さが話し言葉を悪く変えゆきます。マスメディアによる音声の拡散が無かった大正時代までは日本語は平和でした。成熟した地域社会、あるいは社会的階層などには独特の話し言葉が育ち、その安定性は確固たるものでした。それまでは”言葉を守る”努力などは要らなかったのです。しかし今は違います。不断に努力し、身構えていないと危ういのです。さらに私たち自身が日本語を壊すのに一役買っている恐れすらあります。”ら抜き”言葉などがその代表例です。「食べれる」だの「出れる」などと、わたしもあなたも知らないうちに口走ってはいないでしょうか。そうしてもう一つ、関東人に多い「犬に餌をあげる」人。犬や金魚には「餌をやって」下さい。

 このページのカットに使った”文藝春秋”特別号(2002)は、日本語を愛する井上ひさし、柳田邦男ら116人の人たちが、それぞれの立場で日本語のあるべき姿と、それをどう守るかについて語っています。単行本として再出版して貰いたいくらいのものです。ただ、話し言葉についてのスペースが少ないのは残念です。阿川弘之の名が見えないのはなぜなのでしょう。さらにかなわぬことながら、徳川夢声に”美しい日本語の話し方”、藤山一郎に”美しい日本語の歌い方”を語って貰いたかったと思います。

 

��.日本語の歌声について

・・・AKB48と中原美佐緒・・・

 

 2015年10月から2016年3月まで、朝8時になるとNHK朝の連続テレビ小説(以下”朝ドラ”)のテーマ曲、「365日の紙飛行機」が日本中に流れました。その曲を初めて聴いたとき感じた違和感は相当なものでした。主題歌の作詞、作曲に文句があるわけではありません、というよりこれはとても素敵な曲です。しかしそれを無知、無教養な歌唱指導者がシロウト娘たちに誤った歌い方で教えた結果こんな歌が流れることになりました。発音がまるで正しい日本語の発音になっていません。知ってか知らずかこのような間違った発音の歌を看板番組で放送し続けるNHKには呆れるほありません。NHK様、あなた方は正しい日本語の先導者を自負しているのではないのですか? 

 しばらくはわたしの個人的な不快感を減らすためにテレビのボリュームを絞るか耳をふさいでさえいればすみました。しかしある日、帰省していた小学校3年生になる孫娘が、「これ、卒業生のためにみんなで歌うねん!」と言ったので(わたしの)耳をふさいでいるだけでは済まなくなりました。まさかとは思いますが、AKB48の発音をそのまま真似て子どもたちに唱わせるのならそれは困ります!

AKBの唄のどこが悪いのか。歌の最初の部分を見て(聴いて)みましょう。右側にAKBの発音をローマ字で書き出してみました。悪いところは強調文字にしてあります。特に、「ように」は断じて「ヨウヲーニ」ではありません。次行のタイトルをクリックすればYouTubeで聴くことができます。できるだけ良質なオーディオ装置で聴くとそのひどさがいっそうよくわかります。

365日の紙飛行機;(唄 山本彩ほか)

朝の空を見上げて     asano sora wo miage te         
今日
という一日が          kyowo to iu ichinichi gaa
笑顔でいられるように       egawo de irare ru yowoo ni 
そっとお願いした     sotto one
gahi shita 

(参考、旧仮名遣ひでは; ”アサノヒカリ ミアゲテ、ケフ トイフ イチニチ ガ、エガヲ(orエガホ) デ イラレル ヤウニ、ソット オネガヒシタ・・・)

  間違いとまではいえないかも知れませんが、この歌に出てくる「笑顔egawo」や目的格の「を」をこのようにわざとらしくしかも強く発音することなど日常会話ではありえません。そして、この歌のイントネーションは東西方言混ぜこぜのようなので(大阪局制作ドラマだからといって)、耳障りな関西弁の「ガ行」はきっぱりやめて鼻濁音にすべきです。欧米人には日本語は「ガタラル」に聞こえるのだといわれます《岩波新書;金田一春彦著:「日本語」》。ガタラルが褒め言葉とは到底思えません。関西弁の「ガギグケゴ」はガタラルの最たるものだとわたしは思いますよ、多分。

 AKBの唄に対して、美しい日本語で歌われた例を一つ選ぶとしたら中原美佐緒の「河は呼んでる」はどうでしょう。「365日・・・」と同じ、「ように」が一番だけで三か所出てきますので比較に最適です。美しい日本語の発声が日本人の耳にどれほど快いかが再認識できます。(日本語の歌詞の前にひと節歌われるフランス語のなめらかな響きと較べてもまともな日本語はガタラルとは縁遠い美しい響きをもっていることがわかります。次行「河は呼んでる」をクリックするとYouTubeで聴くことができます。

河は呼んでる (フランス映画「河は呼んでいる」主題曲:音羽たかし訳詞)

 デュランス河の流れのように  Durance gawa no nagare no you ni   

 子鹿のようなその脚で        kojika no you na sono asi de

 駆けろよ駆けろ            kakeroyo kakero

 可愛いおるたんすよ          kawai Hortense(worutansu) yo

 小鳥のようにいつも自由に     kotori no yoo ni itsumo jiyu ni

 

 多くの人に語りかける歌手や声優、マスメディア、政治家など社会的影響の大きい地位にある人、教師、これらの人々は厳重に自分の言葉を律する責任があります。繰り返しますが、「365日・・・」を子どもたちに唱わせるのなら、先生方が発音を正しい日本語に直してからにしてださい。

 

*註:「子供」(コドモ)を「子ども」と表記するのが現代日本語の標準です。こんなアホウな規則は早く改めるべきです。「Child」に対応する日本語は「子供」なのであって、断じて「子ども」ではありません。

 

 『2016初春 井上隆智)

 

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