薬の広告

 


「薬の館」の銅板葺塔唐破風附看板(19世紀):天寿丸と人参五臓圓(商品として現存する)を商っていたことがわかる。(宇陀市大宇陀、旧細川家)

撮影機材 SANYO DSC-MZ3 37mm 07/03/02撮影

 

 

 日本人の薬好きは有名です。でもわたしたち医者は大体薬嫌いです。誤解を恐れずに言うなら、医者は薬を、あんまり効くものとは思っていませんから。とくに、自分がかぜなどの軽い病気になったとき、自分で自分の薬を処方して飲んでも、まるでありがたくなくて、効くような気がしません。「咳止め」、あれはとりわけだめですねえ。

 だからといって、医者が一般の市販薬をいっそうバカにしているかというと、それは違います。私の机の引き出しには市販薬、たとえばかぜ薬、頭痛薬、胃腸薬、点眼薬、かゆみ止めの塗り薬などなど市販のものが結構入っています。私は狭心症を患ったことがありますので、主治医の処方してくれる「本格的」な薬を一生飲み続ける必要がありますが、旅行に行くときなどには、それとは別に机の中のこれら市販薬も鞄に入れて行きます。

 あるレベル以上の重大疾患のときに使う薬、たとえば麻薬、抗生物質、睡眠薬、血圧を下げる薬などは市販薬としては売っていませんが、いわゆる「かぜ引き、腹いた」などに対して沢山売られている市販薬は上手に処方されており、急場しのぎには十分役立ちます。医者を受診することを思えば手軽ですし、価格も決して高くはありません。

 私が市販薬で問題にしたいのは、薬そのものの善し悪しではなくて、その売り方にあります。

 わたしたちが薬を手に入れるには、大きく三つの方法があります。まず、三百年の伝統を誇る富山や大和の”置き薬”(配置薬)を置いて貰う方法、二番目に現在もっとも一般的な薬局薬店で買う方法、それに医師から処方して貰う薬、この三つです。このうち最初の置き薬と医者の薬は広告の必要がありません。問題になるのは二番目の薬局などで薬を買う場合です。

 その昔、テレビがなかった時代、薬の広告は雑誌、新聞など印刷物が主力だったでしょう。「○○丸」など薬の名だけを記した看板もありました(冒頭の写真)。いずれにしろ、当時は薬自体もたいしたものがありませんでしたから、インチキ薬を別とすれば薬の広告についてとくに何かを問題にする必要もなかったはずです。

 さて時代は変わりました。現代の話です。医師にしか使えない薬は処方箋がなければだめですが、それ以外の数多くの一般薬は、どの薬局でも簡単に手に入れることが出来ます。それらを宣伝広告することも原則的に自由です。

 それをよいことに、テレビはやりたい放題の薬の広告をするようになりました。嘘をついたり、誇大広告をしてはいけないことになっていますが、薬の広告は全部誇大広告、といって悪ければ、不適切な表現を使っています。いくつかのパターンがあるので一つずつみていきましょうか。まず、薬のコマーシャルに使われる「・・・に効く」という言葉を聞くと医者はそれだけで「言い過ぎだよ」と感じます。効くか効かないかは人によって違います。少し遠慮した言い方で、ちょっと聞きには良心的かと思わせる「・・・の症状を和らげる」、あるいは「・・・を正常な状態に近づける」などという言い方は一種のごまかしでしかありません。そういう意味でいっそう悪質だと思います。「関節痛の症状を和らげる」のと、「関節の痛みに効く」のとどう違うのですか。関節炎は治るのですか。正常、つまり異常ってどういうことですか。

 「胃のもたれに○○」、「動悸息切れに○○」のたぐいは、CMのなかでも特に有害なものです。胃のもたれに市販薬を飲み続けている間に胃ガンが進行し続けているかも知れません。うつ病患者が飲んでいて効かないことに絶望しているかもしれません。動悸息切れは狭心症かも知れませんし肺気腫かも知れません。胃がもたれも、動悸息切れを感じても、「タバコをやめてすぐ医者へ行きなさい!」というのが大衆への啓蒙としては正しいのです。それ以外は全部だめです。テレビ・コマーシャルは、はからずも、病を得た人への最初の接触者として現れ、「あなたの症状には我が社の○○を!」と語りかけることになります。危険きわまりないミスリードがここで起こります。

  さらにほかの良からぬパターンの例としは、説明抜きのカタカナ語で成分の名前を挙げるなどしてさも権威がありそうに思わせ、素人を煙に巻く「きたない」やり方や、「○○、いい薬です」などと、薬の名前だけ視聴者の耳にたたき込み固定観念化させようとするもの、さらには、ビタミン類などを主成分とする薬品のように、たとえ無害ではあっても、健康な人や、重大疾患の初期の疲労感などには何の効果も示さないものを「疲労回復に○○」などと売り込もうとするなど、その「あざとい」ことといったら、これが一流企業のやることかと呆れるばかりです。

 ずぶの素人には、たとえかぜ薬であっても、薬の種類、まして、銘柄まで指定して買う能力がないことなどわかりきったことです。たとえば、「アセトアミノフェン」と「イブプロフェン」と「カッコン」のどれがあなたの今のかぜに合っているかわかりますか。市販のかぜ薬には大体このどれかが入っています。これらの違いがわからない人-----私も十分にはわからない------に、かぜ薬の銘柄指定をさせようと製薬会社、それを受けたテレビ局は躍起になっているとしか思えません。ナンセンスですし、なによりも危険がいっぱいです。一つだけ具体的な怖い話をしておきましょうか。「イブプロフェン」は気管支喘息患者に飲ませると稀にではありますが重症発作をひき起こす可能性があります。能書(「ノウショ」と読みます)に使い方の説明が書いてあるなどというのは言い逃れに過ぎません。誰があんなめんどうなものをきちんと読むでしょうか。第一、その薬を買わないと能書は手に入らないではありませんか。買わせてから後はその使い方が「どれほど難しかろうと」使った人の責任ですか。いまや、電化製品でもそんな無責任な売り方はしていません。

 薬はよく効くものほど選び方と使い方が難しくなります。だから薬は薬剤師など専門家と言葉を交わしてから選んで貰うべきものです。素人に勝手に選ばせるべきではありません。イブプロフェンの例からわかるように、「かぜ薬程度でそんな大げさなことは言わないで」、みたいなことを製薬会社は決して言ってはなりません。それこそ「語るに落ちる」というものです。効くものならもっと慎重に扱いなさい。効かないものなら売らないください。

  この時代、テレビで広告されている薬はすべて「誰でもが」インターネットで何の制限もなく買うことが出来るのです。街角の自販機で売っているのと本質的に同じことになります。薬はたとえ弱くとも一種の「毒」であることを忘れて貰っては困ります。製薬業界の皆さん、あなた方が庶民の健康を守る一助にと一所懸命作ったはずの商品が、一人歩きして自販機の中に入っているのです。誰もが、目的を間違ったままで手に入れる可能性があります。薬局さえも安心できません。薬の名前を告げるだけで黙って店員?が売ってくれる自販機のような薬局はいくらでもあります

 ですから、私は一人の医者として、テレビでの薬の広告は全部すぐやめるべきだと思っています。あれを舌足らずのスポット広告などで見せられると何とも言えない違和感に襲われます。もう一度言いましょう。薬は間違って使うと取り返しがつきません。電波に乗せるのはあまりにも危ういのです。その危うい宣伝に載せて自販機で不特定多数に売るとは何事ですか。それに気がつかないのか、気がつかないふりをしているのか、製薬業界やテレビ業界の責任はとても重いと思います。さらに、医学関係者全体のモラル、新聞、雑誌、とくにネット関係者など広告媒体のあり方、国家の意識や文明度までもが問われます。

 テレビというメディアについて言えば、それは動く映像と迫真的な音声を提供するが故に、一部「現実」をありのまま伝えているかに思えますが、それがすなわち「真実」を伝えているかといえば、そうではありません。はじめから嘘をつくつもりはなくとも、情報を送り出す側、受け取る側の認識に行き違いはいくらでも起こります。どうでもよいこと、たとえば芸能人のゴシップなどは間違って報道してもどうってことはありません。時間と資源の無駄ですが。しかし、こと健康に関するテーマではいい加減な情報を発信して貰っては困ります。少し考えれば、テレビは、薬に限らず、サプリメントの広告などを含め、健康を左右する品物の広告は怖くて出来ないはずです。

 また、いわゆる健康番組は、専門学会で承認される程度のレベルをクリアーしてから放送すべきものです。テレビの健康番組がよく使う手に、せいぜい5人から10人をテストの対象にして、○○ の使用前、使用後を比べるなどというパターンがありますが、わたしたち視聴者はゆめゆめ騙されてはなりません。簡単な推計学での常識を一つ紹介しましょう。皆が座れる程度の電車に乗って、前の座席に座っている人を右か左、どちらかの「端から順に数えていって、連続して5人が男だったら、その車両に乗っている人の少なくとも半分は男」であると推定できることになっています。5人連続というのが案外起こりにくいことを体験してみてください。5人の人に或る薬を使ってみて「5人全員に効いた」ときはじめて、ほかの人々に使っても、まあふたりにひとりの割合では効くだろう、と、そういうことです。前提条件が厳しい割には効果が期待できる可能性は案外低いのです。サンプルが5というのはそういう数字です。ちなみにこの実験を4人でやったり、5人中4人にしか効かなかったときは、その結果は何の意味も持ちません。まして、怪しいサプリメントやガンに”効く”キノコの宣伝などによく使われるたった一人が「救われた!」体験談などはまるで問題外なのです。

 時代は刻々と進んでいます。とくに情報の伝わり方に劇的な変革が起こっています。商品が生産者から消費者の手元に届くまでに、広大な、そしてコントロール不能な無機質の、つまり何の良心も持たない広告媒体と販売システムが怪物のように割り込んでいるのです。薬剤業界、メディア、そして国家はその怖さをとっくに認識しているべきでした。いつまで二十世紀前半の「手作り、手渡し」の昔のの認識のままでいるのでしょうか。

 現在の日本は基本的には経済原理が優先し動いている社会です。さらに薬の業界では海外の会社の実力は段違いですから、わが国の思い通りには商売が出来ません。さらに官民の癒着は多分想像の通りでしょう。だから、薬のテレビ・コマーシャルを規制する、たったそれだけのことで、まず国が怖じ気づくでしょうし、製薬業界、テレビ局、広告会社、さらにはネット関係者、それらの下請け、孫請けの人々までも含めて、膨大な人々が影響を受けるでしょう。国の良心としてあるべきものと、経済原理は確実に真っ向から対立します。わが国の体制では疑いもなく後者が優先されるでしょう。

  しかし、国家が「面倒を避けている」その代償に、国民の健康が損なわれることだけはなんとしても防がなくてはなりません。急いで何らかの方策を見つる必要があります。さしあたって、わたしたち医師は、職業的良心に従い、正しいことははっきり「上」に向かって、もの申すべきです。でなければせめて懸命に市民を啓蒙しなくてはなりません。日本医師会を含め、医学界はこのことについてまるで意見がないかのように沈黙しています。医学界の偉い人たちはテレビの「薬の広告」を見ていても何も感じないのですか。それほどあなた方は愚かなのですか。はたまた無力なのですか。真っ先に問われるべきはわれわれ医者仲間の自覚と良心だとは、一人の内科医としてまことに情けないとしかいいようがありません。

 結論です。テレビから薬の広告が消えることを切に願っています。そうはなっていない今、わたしたちに出来ることは、薬のテレビ・コマーシャルをすべて無視することしかありません。「自販機」で買った薬を勝手に飲んではいけません。これさえ守れば、自己防衛だけは可能です。痛みの原因となっている病気は治せないけれども、痛み止めを飲んでなんとかその場は誤魔化そう、とそういうわけです。このやり方を医学では empiric therapy すなわち、やぶ医者の治療方法と呼んでいます。ですがこんなことを何時までもやっていると病気は悪くなるばかりです。

井上隆智 (初出:大阪阪南ロータリークラブ卓話要旨 07/02/13に加筆)

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追記

 2009年6月、薬事法が改変され、市販のくすり(一般医薬品)を作用の強い順に第一、第二、そして第三類の三段階に分類することになりました。これに伴い、省令によりアミノフィリンなど第一類とされた薬品だけは薬剤師のみが薬局で扱うこととし、、このページで述べたイブプロフェンや、大方の風邪薬など第二、第三類とされた薬品は「登録販売員」という軽い資格を持った者が勤務してさえいれば、薬局以外で売っても構わないことになりました。 ネット販売についても、第一類とされたごく限られた薬品だけは出来なくなりましたが、ほとんどの市販薬は第二、三類に分類されており、これらは今まで通り今後もネットで買うことが出来ます。全体的にみて、新しい制度は現状を追認した上にお墨付きまでも与えたという点で”悪しき”規制緩和であったと言うべきでしょう。

 ましてや、薬の広告に関して何らの規制も行われませんでしたし、さらに、今回もまた不思議なことに「医師」の側からは何の反省も抗議の声もあがりませんでした。わかっていてもやってしまう厚労省、そして私と同じ仕事に従事する者たちの愚かしさは何とも救いようがありません。(09/08/23)

 

 追記 2

 2013年1月11日、最高裁判所が、薬のネット販売に対する一律規制を、消費者の利便性と法律の解釈といういわば「どうでも良い理屈」によって撤廃するとい判決を発表しました。一番本質的な問題である「薬の健康への関わり」が一顧だにされなかったことが伺えます(毎日新聞2013/01/12.24ページ=薬ネット販売判決要旨を読んだ筆者の感想)。最高裁判所判事に「医学、医療」がわかるわけがありません。最高裁判事は自ら専門家でないことを自覚し、もう一度下級審へ差し戻すべきでした。全く愚かしい判断でした。これで薬はネット上に野放しになるでしょう。(2013/01/13).

 

追記 3

 2013年6月5日、安倍首相が経済成長戦略三本目の矢の唯一の具体策として唐突に大衆薬のネット販売解禁を打ち出しました。政治トップの背後に邪悪なブレーンの跋扈が透けて見えます。(2013/06/22)。

追記 4

 「この問題はネットで薬を売るとか売らないかとの問題ではなく、IT取引を国としてどう考えるかという問題だと僕は思っている」。これはすべての薬のネット販売を認めよ、と首相に進言した男の言葉です(文藝春秋2014年五月号P251)。まず健康を守ることが問題だと考える医学とはまるで別の世界に住む邪鬼の言葉としか思えません。(2014/04/15)

 

 

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