オプジーボとは?PD-1とは?ノーベル医学生理学賞雑感

写真の説明:1908年、北里柴三郎の招きで来日したときのロベルト・コッホ夫妻と北里。奈良公園での記念撮影(写真は部分。写真原本は奈良県宇陀市久保医院所蔵)

 北里柴三郎は、血清療法の発明者で1901年、第1回のノーベル生理学・医学賞の候補でしたが、共同研究者のベーリングだけが受賞し北里は外れました。受賞したベーリングが、「北里にも与えられるべきだ」という趣旨の発言をしていたとも云われています。我が国では北里が賞から外れたのは人種差別があったからだとされています。事実、その後、圧倒的な業績を挙げた野口英世、高峰譲吉(アドレナリンの発見)、鈴木梅太郎(ビタミンの発見)、山際勝三郎(化学物質による発がん)、石坂公成( IgE の発見)など五指に余る日本人学者が受賞を逃していることを考えると、人種主義があったことは疑う余地がありません。

 なお、写真のコッホは来日の三年前、1905年に結核菌の発見などの業績でノーベル賞を受賞しています。病気の原因を決めるのに使われるコッホの三原則は今日でも生きています。一方ノーベル賞を逃した北里が破傷風やジフテリアの治療法として開発した血清療法の原理は今日そのままオプジーボの開発にも使われました。自然科学の世界で、一世紀以上も光を失わない研究こそ、まさしくノーベル賞をも超えるものだと言えるでしょう。

 

 

 

PD-1を発見したのは誰か?

  2018年度のノーベル生理学・医学賞が京都大学の本庶佑特別教授に授与されることになり、日本人としてまことに誇らしいことです。

  しかし、その受賞理由が今ひとつ漠然としていて腑に落ちないところがあります。

  今回のノーベル賞の受賞理由は次のようなものです(CTLA-4を発見したアリソン氏と同時受賞なのでtheirとなっています)。

  ”for their discovery of cancer therapy by inhibition of negative immune regulation

  訳すると「免疫反応が弱まるのを阻止することによってがんを治療するという方法を発見したことに対して」となります。

  本庶先生の業績の中に含まれることとして、次の二つの要素があります。その一つがオプジーボの開発(T業績1)、そして、もう一つがオプジーボ開発の基礎となった遺伝子PD-1の発見(業績2)です。業績((2)は無視されたのでしょうか?二つの業績を簡単に説明すると次のようになるでしょう。

   業績(1):  オプジーボ(*)という抗がん剤の開発、つまり、免疫の主役であるリンパ球(=Tリンパ球、T細胞)の表面に現れて、がん細胞への攻撃を邪魔する(この際は不都合な)たんぱく分子であるPD-1**)をオプジーボが無力化することによってリンパ球に目を覚まさせ、がん細胞を攻撃破壊できるようにする、そういう薬(オプジーボ)の開発過程と出来上がった薬の持つ臨床的価値。 

  業績(2): 健康人では、ときに過剰な免疫反応を起こして体を壊す原因にもなる一部(出来損ない)のリンパ球を体内で自爆させて生体のバランスを維持するのに必須だと考えられた遺伝子PD-11982年、世界に先駆けて発見したこと。

  因みにPD-1は遺伝子( gene )に付けられた名前であり、抗がん剤オプジーボが反応して無力化させるのは、PD-1遺伝子が活性化(=遺伝子発現)したとき作られてリンパ球表面に出てきたPD-1たんぱく分子(protein molecule)です。

  ものの順としては、オプジーボはPD-1遺伝子の発見(業績(2))がなかったら生まれていなかったのです。そのPD-1の遺伝子を発見したのは本庶先生ではありません。発見者は当時本庶研究室のポスドク(大学院を修了したあとも教授のもとで研究を続ける若手研究者)で現奈良先端科学技術大学院大学の石田靖雅准教授です。ただ、PD-1遺伝子の役目についての理解は発見当初と今とでは随分違ってきています。PD-1がリンパ球自爆の遺伝子だという当初の理解のままだったらオプジーボは生まれなかったでしょう(後述)。(だからといってPD1遺伝子発見の価値が下がるわけではありません。むしろその逆です。見方にもよりますが、PD-1遺伝子の発見は最初考えられていたよりももっと凄い結果を引き出したともいえるからです。)

 

「まあ、いいか」  

  今(201810月)の京都大学の本庶研究室(本庶研)ホームページと、2014年に書かれた石田先生の科学随筆(雑誌「細胞工学」201410月号)の記述を読み比べてみました。因みにオプジーボの患者への使用が認可されたのは2014年の7月で石田先生の随筆が書かれた(であろう)時期とぴったり一致しています。

  石田先生の随筆で、最も注目されるのは、彼が本庶研の大学院生だった頃から、Tリンパ球が自己か非自己か(自分か敵か)を識別する遺伝子の存在に着目していて、それを見つけ出す方法についてのアイデアを本庶教授に披露したところ、本庶教授から「アイデアは面白い。しかしそのストラテジーはあまりにも多くの楽観的な仮定に基づいていませんか」と指摘され(研究の実行に至らなかっ)たことと、のち、博士課程を修了し、ポスドクになった石田先生が再びそのテーマで研究したい旨を本庶教授に申し出て、今度は、「『まあ、いいか』という感じでOKしてもらった」、と述べている点です。そのことを踏まえて以下を読んで下さい。発表年代順にまず石田先の文章から先に紹介します。(どちらも今ならネットで全文を読むことができます);

  石田2014: 「PD-1は偶然に発見されたと言われていますが、(中略)PD-1は必然的に発見されたのです!(中略)わたしはその事実(PD-1遺伝子の発見)に何か運命的なものを感じました。そしてその発見された遺伝子をPD-1Programmed death-1(ママ))と名づけ、199211月にEMBOjournal誌に発表しました」(文献 1)。

 

PD-1は必然的に発見され」、(本庶研で)「大切に、そして正しく育てられた」

  本庶研のホームページは次のように書かれています。

  本庶研2018:  「(前略) PD-1Programmed cell death-1)は、T細胞の細胞死誘導時に発現が増強される遺伝子として、1992年に当時研究室メンバーであった石田博士によって、単離・同定された。しかし、その機能は長い間不明であった(後略)」。

  この二つの文章のニュアンスの違いに気がついて頂けるでしょうか。石田先生の随筆全文を読めばよくわかりますが、彼はT細胞(リンパ球)のアポトーシス(オタマジャクシの尻尾(の細胞)が消えてなくなるような一種の生理的現象(**))がヒトのリンパ球にも起こることの原因となる遺伝子を見つけようという明確な目的を持って実験を積み重ね、ついにその現象に関わるとみられる遺伝子を発見したと言っています。 

  一方本庶研のホームページではPD-1の発見を「単離・同定した」と書くにとどめています。単離とは、(あらかじめその中にあることがわかっている)沢山のものの中ららただ1種類の物質を拾い出すこと、同定は、それが目的の物質であったかを確かめること、です。敢えて発見という表現を使っていないのは、発見よりは単離・同定のほうが科学的により正確だという配慮があるのかも知れませんが、未知の世界から何かを初めて見つけ出すことを意味する”発見”といいうのよりはかなり弱い表現に止めたという印象は拭えません。

 

  PD-1は発見後様々な研究の結果、発見者石田先生が当初考えていたこと、すなわちリンパ球のアポトーシスを起こす遺伝子ではなく、今日では、PD-1はリンパ球の無力化をもたらし、免疫反応全般を抑制する働きを担うものだということがわかっています。本庶研ホームページの「・・・その機能は長い間不明であった」、という記述は、そのことを含め、PD-1の研究には当初予想されなかったような紆余曲折があり、むしろそのことがオプジーボの開発にも繋がったことを示唆しているのだと考えられます(文献2, 3)。

 

  その辺りのことについて、石田先生は前記随筆(2014)のなかで概略次のように述べています。

 (石田先生が)本庶研から転出した1983年以後本庶研ではPD-1遺伝子発見を手伝い、論文に名を連ねた後輩二人のほか何人もの本庶研のメンバーによって、「PD-1 は「大切に、そして正しく育てられたのだ」。

  さらに随筆は次のように続けています。。(石田先生とは)本庶研同期の小野薬品の研究者とアメリカのベンチャー企業とが共同で抗PD-1抗体の完全ヒト化(オプジーボの作成)を推進したのだ、と。オプジーボ誕生の陰には石田先生の発見を土台にして一歩一歩問題を解決していったポスドクたちのたゆまぬ努力があったことがうかがえます。

 

まとめ

  ノーベル生理学・医学賞の選考にはかつては人種主義による差別がありましたし、最近では「ポスドクが受賞することはほとんどない」というようような”フェアーでない選考”があるという評判がつきまとっています(文献 4)。

 

  

 ノーベル賞といえども”神の託宣”によって決まるわけではないというべきなのでしょう。

 

 

謝辞とお断り:

 ノーベル賞とは関係のない私事ですが;・・・

  わたしはかつて母校内科専攻の大学院生だったとき、国内留学という名目で京都大学病理学教室に通って免疫学の手ほどきを受けました。後年、恩師の濱島義博先生は退官記念の論文集にわたしの寄稿を許して下さったお陰で、わたしは京都大学の出版物に小さな足跡を残すことができました。恩師濱島先生と当時の研究室のすべての仲間たちには心から感謝しています。

  そういう縁もあって、わたしは京都大学の活躍には常に敬意を払ってきました。 そしてわたしにとって何よりも大事なことは、濱島研で習った免疫学が、わたしの内科医としてのライフワークに繋がったことです。 一介のの町医者になった今でもすこしだけ免疫学がわかります。しかし、最新の技術を駆使した免疫分子生物学にはとてもついて行けません((文献1 4)。誰の何処が偉いのかもさっぱりわかりません。ですからこのブログに書いたことは的外れな部分も多いと思いますのでご容赦下さい。

 

  

  今回のノーベル賞受賞では当然のことながら受賞者の本庶先生にスポットライトがあたっていますが、そういうとき、唯一つ、NHK 奈良放送局が放送した番組(***)が今回のノーベル賞の陰の功労者を紹介しました。それを見たことががこのブログを書くきっかけになりました。

 

 

文献:

1. Induced expression of PD-1, a novel member of the immunoglobulin gene superfamily, upon programmed cell death. Ishida Y, Agata Y, ShibaharaK, Honjyo T.  EMBO j.1992;  Nov:11(11): 3887-95 (ネットPubMedでフルペーパーの入手が可能だが Abstract 以外はプロでないと読解不可能。)

2. PD-1 and PD-1 ligands: from discovery to clinical application. Okazaki T, Honjyo T. Int.Immunol 2007, 19. 813-24 

3. 抑制性免疫補助受容体によるがんと自己免疫の制御 岡崎拓岡崎一美 2015, 生化学 86, 693-704

4. がん遺伝子の発見黒木登志夫.. 中公新書 1996   (この本に出会えて幸運だった。分子生物学の世界を覗くのに最適だが、ノーベル生理学・医学賞にまつわるエピソードも興味深く書かれている。)

 

 

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註:

*) オプジーボ Opdivoはメーカー小野薬品工業の商品名で、一般名は ニボルマブ Nivolmab:悪性黒色腫やある種の肺がんなどに抗がん剤として使われる生物学的製剤(=生物製剤、血清療法薬)。ヒト型抗ヒトPD-1モノクローナル抗体です。臨床試験開始は2006年(米)、2009年(日)、患者への試用が開始されたのは20147月です。

 破傷風やジフテリア感染、ヘビ毒など、毒素が体内に入ったときの有効な医療方法として一1世紀以上前北里柴三郎が開発したのが血清療法です。やり方は以下の通りです。

 あらかじめ採取しておいたこれらの毒素をウマなどの動物が死なない程度の量を反復して注射し、動物の体内に毒を中和する抗体(抗血清)を作らせます。その血清を採取しておき、いざ患者が出たとき患者に注射して毒素を中和するのが血清療法です。北里の時代では、毒素は精製されておらず、主たる毒素のほか複数の(ポリクローナル)のたんぱく質に対する抗血清だったことや、治療に使うのがウマの血(血清)であるため、患者ウマアレルギーになるなど問題ががありました。  しかし、最新の技術開発により、現在の医学でも古典的血清療法と全く同じ考え方で作った生物製剤による病気治療が安全に行われています。今日の生物製剤は、標的にする毒素はたんぱく質として1種類(モノクローナル)、抗血清はヒト型であることが原則です。ヒト型抗体は、一部ヒトの遺伝子を埋め込んだ動物で作ることが出来ます。関節リウマチその他幾つかの病気に実用化され劇的効果をあげています。同様にオプジーボはPD-1たんぱく分子だけを中和するように作られたヒト型モノクローナル抗体です。点滴で手軽に使えますが、値下がりした今でも年間一千万円強の薬価です。保険はききます。

 

**PD: Programmed cell death(アポトーシスとほぼ同じ意味): 体は成長などに伴い不要になった、あるいはあとから出来てきて、あったら邪魔になるような細胞を安楽死させる機能を持っています。細胞が自殺する機能を備えていると言った方がよいかも知れません。オタマジャクシの尻尾が消えてなくなるのがわかりやすい例です。人間では、歯が生えてくるとき、歯を覆っていた歯茎の一部が、痛みも出血もなく、すっと消えて歯が生えてくるのは歯茎細胞のアポトーシスのお陰です。Pd-1の話に出てくるTリンパ球(リンパ球にTとBの二種類があり、Tリンパ球が主役)の世界では、本来外敵だけを攻撃すべきところ、なぜか自分の体をも敵として攻撃しそうな不都合なリンパ球だけを自殺させるためにこの機能が備わっています。

 

***) NHK奈良放送局1021829分放送の本庶佑特別教授と石田靖雅准教授それぞれへのインタビュー。この番組で放送された二人の発言は以下の通りです。録音を正確に起こしてあります。言葉の裏までよく読んで下さい。特に本庶先生の主語のない漠然とした表現、石田先生が本庶先生の言葉を引用した最後のの部分など。

 

本庶特別教授(京都大学にて会見(部分=NHK編集による。)

 「PD-1の発見と、それに続く極めて基礎的な研究が新しいがん免疫療法として臨床に応用され、このような賞を頂き、わたしは大変幸運な人間だと思っております。」

 

石田准教授 (多分奈良先端技術員大学大学院大学にて記者の質問にに答えて)

-記者「よろしくお願いします・・・」

-石田 「大変素晴らしいことだと思いましたし、私自身も深く感動いたしました。ほんとうにわたしはPD-1という遺伝子を見つけただけなんですけど、それをそのあと非常にうまく磨き上げて下さって、これがこのような素晴らしい結果に結びついたということに感動するとともに、深く感謝申し上げると言いますか、よくぞそこまで育てて下さったという想いが強かったです」。

-記者 「本庶先生と何か言葉を交わされましたか?」 

-石田 「短くメールを、お祝いのメールを差し上げたのですけれども、あれだけお忙しいのにもかかわらず返信して下さいまして、『すべては君の執着心から始まりました』というようなことを言って下さって感動いたしました」。(2018/10/8作成のYahooブログより転載)




Dahlahestの木彫り。 代表的なストックホルムのお土産です。
1994年に国際アレルギー学会議で貰ってきました。



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