「2001年宇宙の旅」の「美しく青きドナウ」
音楽をどう聴きましょうか?
映画「2001年宇宙の旅」をパソコンで再生し、デジカメで撮影したもの。下段の写真も同じ。(カメラ Sanyo DSC-MZ3, ディスプレー EIZO Flex Scan L567)
音楽は作曲家が作曲し、演奏家が演奏し、聴き手が聴くことによってはじめて成り立ちます。どの一つの要素が欠けても音楽という芸術は完成しません。作曲者の意図が、演奏者と、鑑賞者(聴き手)の感性によって大きく変わってしまっても何ら不都合はありません。これが音楽の一番楽しいところです。例として適当かどうかわかりませんが、ベートーヴェンがが楽譜というキャンバスに赤い丸を一つ描いたとしましょう。それを聴き手が梅干しだと思おうと、太陽だと思おうと勝手である、とまあそういう具合です。ことほどさように音楽ほど抽象的で自由度の高い芸術はほかにはないでしょう。この自由さがかえって音楽をわかりにくくしている、あるいは「クラシックなんか聴いてもわからない」と思われるもととなっているとしたらとれも残念です。その誤解を解くために一つの例を挙げましょう。
曲が作曲家の、そして演奏家の意図したものとはまったく違う姿で私たちの心を打ったわかりやすいお話です。
「2001年宇宙の旅」という映画(1968年、スタンリー・キューブリック監督)がありました。冒頭の写真はこの映画の導入画面です。この背景に流れる音楽はリヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラストラはこう語った」の「序奏」です。これはニーチェの作品からインスピレーションを受けて、人類の未来をイメージした曲だといわれています。そうしてもう一つ、、本ページの下段の写真のことです。これは人類が宇宙を旅立つ基地となった宇宙ステーションと地球を撮ったショットなのですが、この場面、そして映画全体にも流されたのが、ヨハン・シュトラウスの「美しく青きドナウ」でした。ヘルベルト・フォン・ カラヤンの指揮でベルリン・フィルが演奏するこの「青きドナウ」は、この映画に、そしてこの情景にまるでそのために作曲されたかのように鳴り渡りました。「青きドナウ」が、宇宙への旅立ち、人類の未来を象徴する曲として選ばれるなんて。キューブリックはシュトラウスに負けない”音楽家だといってもさしつかえないでしょう。
ヨハン・シュトラウスはオーストリアを愛し、ウィーンを愛し、敗戦にうちひしがれた祖国の人々の心を鼓舞するためにとこの曲を作ったといわれています。曲名だけからははかり知れない、”希望”のようなもの、それがもとの題、「青きドナウ」にも「宇宙の旅」にも共通していたのかも知れません。いずれにしろ作曲家のまったく想像外の世界でこの音楽は生き生きと人の心を打ったのです。この映画はアカデミー賞の音響効果の部門でオスカーを獲得しています。
リヒャルトもヨハンも、そしてベートーヴェンももモーツァルトも、理屈抜き自分流で聴きたいように聴きましょう。音楽評論家の偉い先生方のご託宣は当面とうでもでもよろしいでしょう。「君が代」を「お相撲のテーマ曲」だと思っている人は、それはあんまりだと思いますが、「青きドナウ」を宇宙飛行や、人類の未来、希望のテーマ曲だと信じてしまっている人がいてもそれはそれでまことに素晴らしいことではありませんか。ヨハン・シュトラウスは喜ぶと思いますよ。