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FM放送で音楽を聴きましょう
きっと新しい出会いが待っている
わたしのFMチューナー、ケンウッドKT-3030(1984発売)。同社がはじめて高級機にシンセサイザーを導入したもの。
「何を今更FMなんか」、と思っていませんか。そうだとしたら、それは大いなる認識不足というものです。旧来からのオーディオ・マニア以外のほとんどの人はFM音楽放送の本当の音を聴いたことがありません。それはFMラジオや簡単なセットのステレオから聞こえる音とはまるで違うのです。まともなFMの音を聴こうと思ったら一定のレベルをもった単品コンポのFMチューナーとしかるべきステレオ装置が必要です。さらに、多くの場合FM専用のアンテナを屋外に立てる(売っているとすれば)か、FM電波帯をカバーしたケーブルテレビアンテナが必要です。
プログラムソースがLPレコードとFM放送に限られていた1960年代、家庭用”高級”ステレオとして登場してきたのは、左右のフロア型スピーカーの間にレコード・プレーヤーとFM受信機つきアンプを置いた一体型セットでした。大きいものでは高さが70センチ、幅1メートル以上もあって、まるで立派なお座敷の飾り戸棚のようにも見えました。これが、日本橋や秋葉原だけでなく普通のデパートの広いフロアーを占領して華々しく売られていました。それを”見て”わたしたち庶民は購買意欲をそそられたものです。しかし公務員の初任給の二、三倍もしたこの手のステレオ・セットは、一見がっちりと作ったように見せかけたスピーカーボックスが、実は板厚不足でボコボコだったり、アンプやレコードプ・レーヤーなども最低限の品質でしかなかったりしていて、まともな音など期待するほうが無理というしろものでした。こういう”まがいもの”に愛想をつかし、安くてもまともな物を、とステレオを自作しようとした人々がオーディオ・マニアのルーツとなりました。
1970年頃には次のようなことがまことしやかに言われていました。「ステレオ・セット一台あたりレコードが何枚売れるかというと、それはたった一枚か二枚である」。ついでに申しますと、私たち若い医者仲間では、次のようなことが自嘲的にささやかれていました。「医学博士が生涯に書く論文の数は平均一人あたり一つ{学位論文だけ)か二つぐらいなのだそうだ」。まるで関連のない二つの世界での奇妙な符合ですが、どちらもわが国の文化レベルの貧困さをまことに象徴的に物語っているではありませんか。そう、多くの場合、「医学博士」の肩書が実力を伴わない名ばかりの飾りであった(ある)のと同様、要するに豪華家具調ステレオは部屋の見かけ倒しの飾りに過ぎなかったわけです。
高価なステレオが売れるわりにレコードが売れなかった原因には、豪華家具調ステレオの音が十分でなかったということに加えて、次の二つの大きな要因があったと思います。まず、ステレオを買ってはみたものの、聴くべき音楽レパートリーをまるで持っていないというわれわれ日本人全般に共通する音楽的素養の貧しさ、これが第一。そして、月四万円の給料に対し、二千円もしたレコードがバランスを欠いて高かったこと、これがその第二です。そして誠に惜しいことですが、ステレオ・セットにおまけのようについていたFM受信装置はこの二つの問題をいくらかは解決する能力を何とかもっていたことにほとんどの人が気がつかないままでした。いろいろわけはありますが、ほとんどの人はアンテナをつなぐことすらしなかったのでFM放送は雑音だらけでまともに鳴るはずもなかったのです。もしアンテナさえつないでいればこれらの低品位ステレオでもラジオとでは比べものにならない音で鳴ったはずです。
ちなみにわたしはソニーのFMステレオラジオから聞こえて来た「田園」を聴いて、何としてもステレオ装置を手に入れようと思い立ち、オーディオマニアへの第一歩を踏み出しました。以後、FM放送からどれほど多くの音楽(曲)を教えてもらったことでしょう。数え切れないくらいです。わたし現在知っている曲の大半がFM放送で初めて聴いたもの!といっても決して過言ではありません。FM放送こそがわたしの音楽教科書だったのです。ここが、このページでいちばん強調したいところなのですが・・・。
さて、話は一気に現在に飛んで、わたしの住んでいる家はここしばらく電波環境が思わしくなく、5素子のFMアンテナを立ててもマルチ・パス(電波の乱反射)が多くて音が歪んだり雑音が入ったりしていましたので、あまりFMを聴いていませんでした。そこへ最近、FM電波帯もカバーするケーブル・テレビ網が完備されましたので、早速アンテナ引き込んでFM放送を鳴らしてみました。久方ぶりでわたしの部屋で聴くその音の良さ。放送ブースの空気の揺らぎまで感じ取れるかに思います。これは誇張ではありません。わたしはかつて、トリオKT-9007{下段写真)というFM/AMチューナーを使っていましたが、そこから聞こえてくるレコード演奏から、自分の愛用のカートリッジのシュアーV-15�兇錬裡硲砲�放送に使っているデンオン(当時)のカートリッジ、DL-103とは明らかに音色が違うことを聞き取っていました。そのことに気づいたのをきっかけにわたしはデンオンDL-103(S)を買ったのです。DL-103 はわが家でも見事放送局と同じ音色で鳴りました。このように、FM放送はもとの情報を忠実に運んでくる底知れない実力を持っていました。今、満足できる電波条件のもとでで鳴り響く現代のFMを聴いて認識を新たにしました。ライブはいうに及ばず、CD一枚にしても、いかな大金持ちが逆立ちしても買えないような機器を使って再生され、送り出されてくる信号なのですから当然といえば当然です。その上、いうまでもないことですが、放送局の無限ともいえる音楽コレクションを聴かせてくれます。好きなときに好きな曲を聴くという選択権がこちらにないのがどうしようもない欠点ではありますが、まあ、昔のようにエアチェック(録音)でもしておけばいいでしょう。その現代的なやりかたは別のところで紹介しました。(「週刊FM=音楽之友社1971-91」、がもはや手に入らないのは残念!)
FM放送を本格的に聴くことも考慮に入れて、数万円くらいの今日的な卓上型のコンパクト・ステレオを買おうと思っているのなら、それはまったくお勧めできません。あのランクの多くはラジカセぐらいの音しか出ません。FMチューナーはともかくとして、アンプが安物ですし、スピーカーが小さ過ぎます。公称20Hzから15kHzをカバーするFM放送の音の凄さを体験できるとはとても思えません。聴きなじんだ曲ならそれはラジオで聴いても楽しめます。スピーカーからは出てこない音までを記憶が補うからです。しかし、はじめての曲と幸せな出逢いをしたいと思うなら、それなりの装置がやはり必要です。FM放送の本当の音を一度聴けばこのことはきっとわかって貰えると思います。ひと言追加。音楽を聴こうと思うならNHK−FM以外の民間放送局はまるで駄目です。聴くに値するプログラムを放送していないからです。念のため。
このページの冒頭写真がわたしの現用のチューナーですが最近故障して修理をしなければな(鳴)らなくなりました。しかも修理がきくかどうかさえ定かでありません。そこで、やむを得ず古いバリコン型FMチューナー、トリオのKT−9007(1974年発売)を現役に復帰させました。何と、20年間も使ってなかったその音が、現用のケンウッドに勝るとも劣らないではありませんか。持っているCDと同じ演奏がオンエアされているのを聞き付け、そのCDを追っかけ再生させて放送と聴き比べてみました。そして、KT−9007の能力の高さを再認識しました。生まれてから35年の歳月を経た”骨董”品とはとても思えない忠実度の高い受信をしていました。
FMチューナーはいわばラジオですからさほど多様な回路のバリエーションがあるとも思えません。それでも昔から高級品と普及品とで三倍ほどの価格差がありました。回路を簡素化し、あるいはICチップ化してつなぐだけで作ってしまうとか、ケースをケチるとか、抵抗やコンデンサーなど電子部品は安いもので間に合わせるとかで普及品は作られていたのでしょう。当然高級品はその逆の”はず”でした。ちなみに、35年前トリオの最上位機種だったわたしのKT−9007では、基板上の回路を機能別に分けて配置し、それぞれのブロックにシールド・カバーを取り付けるという凝った造りになっています。さて、現在の市場では高級チューナーと呼べるものはアキュフェーズの一機種だけしかなく、他は価格的に見てアキュフェーズの十分の一ほどの品物だけになってしまいました。これら何の趣味性もない、言い換えると所有することに何の喜びも感じない実用品としてのチューナーも、日本のメーカーのことですから、購買者にとって必要十分なな性能だけは保証しているのでしょう.。ただ、この分野で大手メーカーがマニア相手の商売をやめてしまったことだけは間違いなさそうです。メーカーも音楽愛好家も、もしFM放送という音楽の”宝石箱”を「もう要らない」、と思うようになってしまったとすればそれはまことに残念なことです。ひるがえって、FM全盛期に生まれたKT−9007,音はともかく、インジケーター・ランプが一つ点かないなど、万全とはいえません。本格的に故障したらどうしましょう。ここに述べたように今となってはこれに見合った代わりを手に入れることはほとんど不可能です。FMの電波が運んでくる音楽はわたしにとって貴重なものだということは以前も今も何ら変わりません。(07/12/25、09/11/23改訂)
TRIO KT-9007