静かさあってこその音楽



これで大音響。ピーク・メーターは10ワット超を指しています。

 
 演奏会で演奏が終わった瞬間に間髪を入れずに「ブラボー」と叫んだり、トップを切って拍手をするのを趣味としているバカな人たちがいます。音楽は鳴り終わったあとのほんの数秒でも静寂の瞬間があってこそ音楽です。曲にもよりますが、すーと消えていく最後の音の余韻を楽しめることはことによると音楽の最大の楽しみかも知れません。「ジャンジャン」という「運命」交響曲の終わりならまだしも、弦楽合奏ですーと消えていく「未完成」交響曲が終わるか終わらないかのうちに拍手万雷というのはまったく雰囲気にそぐわないのです。「そういううるさいことまで言うからクラシックファンは嫌いだ」などと言わないでください。ふつうの感性の持ち主ならばその場に居合わせばわかります。

 クラシック音楽がロックなどと決定的に違うのはクラシックでは小さい音量レベルで演奏される部分がとても大切だということです。トライアングルが一つ、「チーン」と鳴るかと思えば、一方では同じ曲の中にピアノの腱板を力一杯叩くとか、オーケストラの総奏(トゥッティ=tutti;全演奏者が参加して楽器を弾くとき)などという大音響の部分があったりしますから、場合によると一曲の中での音のエネルギーのレベル差が10万倍も違うこともあります。この音量の格差をダイナミック・レンジといって、通常デシベル(dB)という単位であらわします。別の身近な例でいえば、ひそひそ話をしているときに近所に雷が落ちたとすると、その瞬間に音のエネルギーは一挙に10万倍に跳ね上がります。これらの刺激をもろに受けては身がもちませんので、人間には受けるエネルギーの違いを、実際の量よりは縮めて感じるようにする一種の防御機能が備わっています。物理学的に単純に測られるもとのエネルギー量の変化を実際に人間が体感として感じる量に変換するため、もとのエネルギー量を対数で計算し比較値として表したものがデシベル(dB)という単位です。ほとんど音のない、例えば雪の降る音を0デシベルとすると、ささやき声は30デシベル、近距離の雷やオーケストラの最強音で120デシベル以上だろうといわれています。20デシベルはエネルギーとして10倍になります。これを基本として計算します。40デシベルは(対数計算は掛け算は和、この場合20+20=40,なので)音のエネルギーは10×10で100倍、60デシベルは1000倍、100デシベルはその100倍ですから、10万倍になります。エネルギー差はそれだけありますが、私たちは10万倍を100倍(dB)としか感じないわけです。ややこしい話はこれくらいにして・・・。

 クラシック音楽をステレオ装置で再生する際、ごくごく小さい音が再生できるかどうかが大きな意味を持ってくる場合が二つあります。その一つが、ホール・トーン、すなわち音楽が演奏された部屋にこもるわずかな反射音の再生できるかどうかです。もっともわかりやすい部屋の響はお風呂場の反響でしょう。あれはむちゃくちゃに多いホール・トーンの1例です。ホール・トーンは、いわば、「ホワーン」と消えていく音なのですが、音楽が鳴っている間中はつきまとっており、音楽全体の中では小さな音であるにもかかわらず音の善し悪し、場合によっては演奏そのものの味まで変えてしまうほどの大切なものです。ホール・トーンを全くなくすると、野原で歌ったり、演奏したりするのと同じで、音はスカスカになります。

 だから良い再生装置は、ステレオの置かれた部屋の特性も含めて、ホール・トーンの再生が過不足なく出来なくてはなりません。うまく再生できると、ウィーンフィルの使うホールと、ベルリンフィルの使うホールの違いが聞き分けられると言われています。ホール・トーンはどれくらいの大きさの音なのでしょうか。上の写真のメーターで見てください。ボリュームをこの”10時”の位置で聴く限り、0.003ワットはかなりしっかりした音楽の音(ファンダメンタル)として聞こえていますから、CDではホールトーンは多分それよりまだ少し小さい音、0.001ワットくらいのレベルで鳴っているいると思われます。写真のメータで左端、-40デシベルより小さい音です。人間の耳は、さきに申し上げたように、大きい音には耳をふさぐ形で、逆に、ごく小さい音は増幅して拾い上げて聴く方向に働くという優れた能力があります。さて、あなたの再生装置はこの小さい音を再生できていますか。

 例を挙げてお話をしましょう。ピアノ曲のCDはは概してホール・トーンの有無が確かめやすいものです。ホール・トーンが少なすぎると音がパサパサになります。少し多すぎると「ワーン」という感じになり音は豊かにはなりますが、濁ります。ショパンの夜想曲(ノクターン)集では音楽評論家が一致して一番に推薦するアラウの演奏(フィリップス 456-336-2)では、天井が高く、大きくて残響の多い部屋で録音されていることがホール・トーンからよくわかります。どちらかといえば、少し響きすぎで、前の音があとで弾くパッセージにかぶってしまっています。これに比べ、アシュケナージ盤(ロンドン FOOL-23033)は、複数の場所で演奏したものの寄せ集めなので一概には言えませんが、冒頭の第1番など、適度なの残響がとても曲によく合っています。余談ですが、ショパンのノクターンの中で一番ポピュラーなのは映画「愛情物語」でカーメン・キャバレロが弾く「ツー・ラブ・アゲイン」でしょう。それはこの中の第2曲、作品9-2を”崩して”演奏したものです。オリジナル曲を聴いてそのすばらしさをぜひ味わってください。

 小さい音はもうひとつ、曲が終わるときの余韻としてきわめて重要な役割を持っています。目次のページで取り上げた「乙女の祈り」は、曲の終わりに、ペダル操作で振動していたピアノの弦に瞬間的にブレーキがかかって、音が一瞬にフッと消えます。これに対し、よく知られている曲では、ドビュッシーの多くのピアノ曲、たとえば「月の光」などでは、曲の終わりでピアノの弦はかすかに鳴り続けてなかなか終わりません。月の光という”静かさ”を音によってイメージした曲にまことにふさわしいものだと思います。だから、静かさの表現であるピアノのごくごく小さな響きを正しく再生出来ることはオーディオ装置のとても大事な条件です。「月の光」はベルがマスク組曲という曲集に含まれていますが、とても美しい曲なので多くのCDで取り上げられています。私の持っている有名なベロフの旧録音盤(EMI 7243 5 74122 2 3)のベルガマスク組曲は、オーディオ的には必ずしも最上とは言えません。新しい録音があるそうなのでそれを買いたいと思っています。

 小さい音がうまく再生できるかどうかは、さまざまな雑音の存在が効いてきます。雑音と音楽信号の量の比率をシグナル/ノイズ比(S/N比)といいます。アナログのLPレコードは、まず、録音に使ったテープの雑音(ヒス・ノイズといいます)が必ず混じっていること、さらに、レコードプレーヤーが発する雑音、針がレコードをこする音(針音)、さらに、ピックアップからはきわめてわずかな電気エネルギーしか得られないため、アンプの増幅度を大きくとらねばならず、アンプのトランジスタなど電気回路が発する雑音までが聞こえてしまい、どんなにがんばってもS/Nは60デシベル(1000倍)しかとれないといわれています。体感的にはダイナミックレンジにして、オーケストラの能力の半分しか再生できないことになります。その責任のほとんどは、録音と再生時に割り込んでくる雑音(N)にあります。これに対し、デジタル録音したCDはカタログ上では100デシベルが確保できることになっています。LPに比べCDの一番有利な点は、無信号時のノイズがないことです。私の部屋で、大きめの音で聴くときのボリュームは写真の”10時”の位置ですが、CDプレーヤーの電源を入れ、CDは停めたままボリュームをためしに上げていっても、10時の位置ではもちろんのこと、ボリューム一杯にしてスピーカーに耳をくっつけても何も聞こえません。つまり、再生装置のS/Nは体感的には無限大、あとははCDの出来次第だということになります。一方、どんな静かな部屋でも音楽ソース以外から発せられる雑音をゼロにすることは出来ません。また、アナログ録音からCDを作った場合(ADD)、ヒス・ノイズもあり、それ以外にもCD自体がほかの理由で雑音を含んでいることもあり、部屋の条件などを含めれば、S/N 100デシベルを確保することは一般家庭では絶対不可能です。でも、S/Nを出来るだけ大きく、という命題は電子機器によってクラシック音楽を再生するためには何より大切なことではあります。

 なお、不思議なことがあります。アナログ・レコード(LP)には、S/Nの悪さ、ひずみの多さという大きな欠点があるにしろ、ホール・トーンもちゃんと聞こえますし、ことによるとCDより生き生きとした音が入っているとさえ思えるものが”確かに”あります。これをどう説明したらよいのでしょうか。どなたかオーディオ評論家の先生、ちゃんとした理論付けをして教えてくれませんか。私は科学者ですから、理論がしっかりしていれば信用します。

 さらに、オーディオ評論家の先生方にお訊きしたい。あなた方は例えば、「さすが、この(200万円クラスの)アンプは「普及品(それでも50万円!)に比べ静寂性がまるで違う」、などとおっしゃっていますが、あなた方はそこまでわかるのですか?本当に。もちろん、「ある種のひずみのある音を聴いたあとでは静寂が真っ白にならずS/Nが悪いように錯覚する」などとあなた方が主張している憶説は百もお承知しております。もう一度繰り返しましょうか。わたしは理論がしっかりしていれば信用します。憶説やオカルトは信じません。 

 音楽の美しさは静けさが対極にあってこそのものである。

誰が決めたのでもありません。これは真理です。

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