ヴァイオリン・ソナタ  K.296

 

 

 紹介する K296 が入った五つのヴァイリン・ソナタ集.真ん中のパールマン盤以外はソナタ16曲を収録.但し、グリュミオー盤は4枚バラ売り..

 

   私はクラシック音楽ファンですが、何をどれだけ聴いたらよいのでしょう?

  何にでもガイドブックはありがたいものです。私がCDを選ぶとき一番便利に使っているのが音楽之友社の名曲、名盤300」(1999年)という本です(下段写真中央)。この本では題名通り、300曲の名曲をとりあげそれぞれに簡単な解説をつけた上、延べ30人あまりの評論家から曲毎に選ばれた5人が点数制で幾つかずつの推薦盤を挙げています。私はその300曲のなかに自分の持っている曲がどれくらいあるかを数えてみましたら160曲余りありました。もちろん、私のCDがこの本に挙げられている「名盤」とは演奏者が違っていても、曲さえ同じであれはそれでよいことにしました。また、大好きなベートーヴェンの交響曲「田園」のように同じ曲が10枚超あるものも、たった1枚しかないものも同じ1曲としてカウントしました。

 このように、世に名曲といわれている曲300の約半数ちょっとぐらいしか持っていない、つまり聴いていない私が「クラシック音楽ファン」だと称するのはおこがましいですか? はたまた、世間が名曲だとしているもの、例えばこの300曲ぐらいは全部持って、つまり聴けばより幸せになれますか?

 そもそも「名曲」とはどういうものでしょう。それを誰がどういう根拠で決めたのかが問題です。例えば、名曲300のなかには、バルトークの「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽(弦チェレ)」などという曲が含まれていますが、こんなものは名曲どころかクラシック音楽ですらないと思っている人間もいます。私は、LPでこの曲を持っていますが、新しくCDを買う気はありません。評論家の先生方は、いくら商売とはいえ、バルトークも、ショスタコービッチもあまねく聴き通すのはエライ申し上げるべきか、ご苦労様とねぎらうべきか、ともかくもその知的レセプター(受け皿)の広さに敬服のほかありません。まともな神経ではとても聴き通すことが出来ないこれらの難解な”芸術”のどこがどういうわけで面白いのか、評論家の先生方にはまずそのあたりからわかりやすく教えていただきたいものです。曰く、「背筋が寒くなる名演」だとか何だとか。そのようなプロの自己満足を聞くためにガイドブックを買い求めるのではありません。言っておきますが私はバルトークは駄目ですが、同様に不協和音の嵐が渦巻く「春の祭典(ハルサイ)」は聴きます。理由を言うなら、この「名曲」にはストーリーがありますし、オーディオ的に”めちゃくちゃ”面白いからです。あとで述べるモーツァルトの音楽とは対極にある”見世物”として「ハルサイ」は十分に楽しめます。

 見世物と言えば、この名曲300のなかには、オペラ(歌劇)のCDが20曲(?)ほど含まれています。私は、オペラをCDや、LPで”聴く”趣味はあまりありません。あれは舞台芸術です。それに、歌手達はイタリア語など外国語で歌います。何を言っているのかを知るには歌詞の翻訳と首っ引きになります。でなければ、全部の歌詞を覚え、ストーリーを完全に理解してから聴くか、あるいはイタリア語をマスターしてしまうかしかありません。その昔、八千草薫さんが演じる「蝶々夫人」を映画で見たことがあります。あれはわかりました。今、カラスやフレーニなどの歌うアリア、「ある晴れた日に」を聴くと、女の情念、生きることの哀しさ、などが百万の台詞より強く伝わってきて、オペラの素晴らしさを垣間見る思いがします。しかし、それもこれも私がたまたま「蝶々夫人」の全曲LPを持っていてストーリーも知っているからこそのことです。やはり、オペラは”聴くもの”ではありません。オペラを「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」などと並べて「名曲」のひとつとしてカウントすることには無理があります。

 そういう類(たぐい)のものまでたくさん含まれていますので、名曲300といっても、実際、聴いてみようかという「」曲」はこの本の300曲のなかでは200くらいに減ってしまいます。それなら、私の持っている160曲余(約80パーセント)はなかなかのものだと言えなくもありません。

 さて、この「名曲、名盤300」では本来名曲として決して落としてはならないはずの音楽、例えば、モーツァルトのヴァイオリン・ソナタを1曲も選んでいません。モーツァルトは生涯にヴァイオリン・ソナタを41曲作曲したと言われていますが、現在私たちが聴けるのは十数曲だけです。世の中には、たったそれだけのヴァイオリン・ソナタを聴くことさえ出来れば、もうほかに音楽は要らないとまで言い切る人もいるのです。

 ケッヘル(モーツァルトの作品番号、K.と略す)K.296という番号のついたヴァイオリン・ソナタ(第24番ハ長調)の第二楽章(約6分)を聴いてみてください。一度聴いただけでそれがどれほど美しい音楽かわかります。モーツァルトがまだ22歳と若いときピアノの手ほどきをしてやった宿泊先の15歳の娘さんにプレゼントした手軽な曲であるとか、何とか。モーツァルトのヴァイオリン・ソナタのなかでさえあまり評価されていない曲なのかも知れませんが、私には母の声のように聞こえる優しい優しい音楽です。CDで最初に聴いたパールマン(Vn)とバレンボイム(Pf)の演奏(グラモフォン F35G 50030)は素晴らしいものだと思いました。バレンボイムのピアノの装飾音がとても魅力的ですし、ルバート(註;下段)も二人の息がぴったり合っています。しかし、如何せん、ピアノは中高音域ばかりが耳につく堅くて平板な音に録音されており、演奏の価値を著しく損なっています。音が若干ましなCDなら、グリュミオー(Vn)、クリーン(Pf) (フィリップス PHCP-9673)がありますが、テンポがかなり早く、駆け抜けるような愛想のない音楽になっています。これは一番お勧めではありません。シェリング(Vn)/ヘブラー(Pf)のセット盤フィリップス 416 902-2)のものもパールマン/バレンボイム盤と比べれば明らかに単調です。こちらのほうがオーソドックスなのかも知れませんが、蒸留水のように情緒に欠けるのは否めません。ヘブラーのモーツァルトを批判するなど我ながら何と生意気なことを言っているのかと自覚はしていますが、それらのCDを聴いて確かめていただけば私がいい加減なことを言っているのではないことがどなたにもわかって貰えるはずです。さらに、インターネットのサンプル音源でしか聴いたことがありませんが、名盤とされる、ゴールドベルグ(Vn)とクラウス(Pf)のものはSP復刻で音が良くないはずです。かように、大好きな曲のCDがどれも帯には短く襷(たすき)に長いのは困ったことです。ほかに良いK296はありませんか? 「名曲300」でモーツァルトのヴァイオリン・ソナタは取り上げて欲しかったですね。ついでにもう一つの本、宇野功芳さんらの好著、クラシックCDの名盤(文春文庫=下段写真左の二冊)も、この件に関する限り、いけません。これにもモーツァルトのヴァイオリン・ソナタはとり上げられていないのです。(このパラグラフ:本ページ2005年にアップした当時のを基本的には書き換えていません)。

  最近になって、クラシックCDの名盤、演奏家編(文春文庫=下段写真右手前)で唯一福島章恭氏が推薦しているモーツァルトのヴァイオリン・ソナタ集、ゴールドベルグ(Vn)/ルプー(Pf)盤(英LONDON 4485262)を聴くことが出来ました(この盤は本ページの初稿をアップした時点(2005年)ではまだ手許にCDがなく、聴いてみたいという願望だけを書いておいた演奏です)。期待に違わずそれは素晴らしいものでした! このK296の第二楽章は温かくゆっくりとしたルプーのピアノにゴールドベルグのヴァイオリンが控えめに寄り添って、鳴り始めた瞬間から部屋の空気が清らかで爽やかなものに置き換わったように感じられるほどです。もし、この演奏を聴いても音楽が好きになれない人がいたとしたら、それはとても不幸なことだと私は思います。普段、クラシックを聴かない人でも騙されたと思って一度はこの曲を、出来ればこの演奏で聴いてみてください。クラシック音楽を嫌いになるのはそれからでも遅くはありません。つけ加えれば、この演奏は1974年のアナログ録音(ADD)ですが、とても優秀です。オン・マイクで収録されているため弓の馬の毛一本(?)が弦から離れる瞬間までわかります。また、ピアノはソフトでしかもしっかりした輪郭をもって録音されています。モーツァルトのピアノ曲の録音としてはかなりの出来映えです。デッカのアナログ音源には優秀なものが多いことで有名です。 

 このように、私にとってK296、一曲に出会うために辿った道を改めて振り返ってみますと、まず、いつの日か、どこかでこの曲を聴いたという幸運に恵まれ、ある日ふと、LPかCDを一枚買ってみる気になり、それを聴いて曲がいっそう好きになり、それならもっと気に入るような演奏があるはずだという思いが募(つの)り、幾つもの演奏を聴くよう努め、やっと私の「名曲」にたどり着けたのだと、大げさにいえば、そういうことになります。その顛末には人知の及ばない力が働いているようにも感じられます。私にとっての名曲はどれも、多かれ少なかれこれと同じような道筋を通ってきたはずです。世の中には私と同様、少ないレパートリーしかなくても自分の「名曲」と幸せな出会いが出来た人もいるでしょうし、何千枚のCDを持っていても、何にもない人もいるでしょう。ガイドブックは役に立ちます。しかしガイドブックの名曲は「ガイドブックの名曲」です。そして買ってきたCDはただの「音の出る円盤」です。「私の名曲」になるためにはここに述べたような見えない「心」のもう一歩が必要なのだと思います。私の人生に見合うだけの「名曲」には必ず出会えるものと信じています。 (初稿:Oct.2005、改訂:Feb.3.2009)。

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  追加です。ごくj最近、ムター(Vn)/オーキス盤(Pf)(DG 4776318)のヴァイオリン・ソナタ集を聴くことが出来ました。2006年のライヴ録音です。K296の第二楽章は、ゆっくりと情緒たっぷりに弾かれ、ふくよかなヴァイオリンの音色と相まってゴールドベルグ盤と同じ雰囲気が味わえる心地よい演奏です。ただ、どういうわけかあるべき(だと思う)主題後半部分の反復が省略されていて、他の演奏を聞き慣れた耳にはそれが決定的に曲想を損なっていると感じます。:まことに残念。ムター/オーキスのソナタ集では、ほかの曲でもその演奏スタイルはかなりエキセントリックです。例えば最もポピュラーな名曲K378などがそうです。第一楽章は非常に速く、敢えて言うならば小節を利かしながら荒っぽく弾き飛ばしたあと、第二楽章は一転落ち着いたテンポで伸びやかで他のどの演奏比べてもいっそう叙情性豊かに美しく歌わせています。ライヴだからこそこのような”熱気あふれる”スタイルになったのでしょうか。LP初期から名演奏とされているグリュミオー(Vn)/ハスキル(Pf)(LP:Ph X-5540, CD PHCP21019 )のK378とでは、まるで違う音楽になっています。第二楽章だけについて言えばムター/オーキスがベストだと感じますが、K378の全三楽章を通してならグリュミオー/ハスキルのバランスは優れていると思います。それにしてもムターの七色のヴァイオリンの響きとともにオーキスのピアノを完璧に捉えた最新のデジタル録音の素晴らしさを聴いたあとでは、ハスキルのまるで洞穴の奥から聞こえてくるようなピアノの音は、よくもまあこれを長年辛抱強く聴いてきたものだつくづく思ってしまいます。ですが、そのけったいなピアノの音をもってしてもなおモーツァルトの魅力を奏で続けたハスキルはまさにに恐るべきものがあると言うべきでしょう。

 以上を通して、昼のなりわいの疲れをそっと慰めてくれる演奏をどれか一つ選ぶとしたら、それはゴールドベルグ/ルプーのヴァイオリン・ソナタ集をおいてないとわたしは思います。(Feb. 2009)

  かように、モーツァルト、とくにヴァイオリ・ンソナタは弾き手によってまるで違う音楽になってしまいます。やはり、こういう曲jにこそ頼りがいのあるガイドブックが一番必要なのではないでしょうか。

  註:テンポ・ルバート(tenpo rubat = 盗まれたテンポの意》音楽で、楽曲の基本的テkンポは崩さずに個々の音符の長さを変化させて演奏おなすること。ルバート(大辞林)。

 参考:下段写真の右端の本(金聖響. ベートーヴェンの交響曲:講談社現代新書.2007)は、職業的指揮者が魂で受け止めた”音楽”について本音で語っています。CDを選ぶのには直接参考になるわけではありませんが、音楽全般についてもわかりやすく説かれており、音楽を知るという上でとても優れたガイドブックになります。この本は従兄弟森田禎一氏からプレゼンとされました。彼の見識に敬服(この項2009年1月)。


私の使っているガイドブック。どれも良著。右端については直上の「参考」をみてください。

 

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