オーケストラの奥行き

 

 オーマンディ/フィラディルフィア管弦楽団 「交響詩 海」 LP ソニー 13AC 127 ジャケットの写真

 

 家庭で音楽を再生する装置であるステレオ、その性能はかなりの水準に達しています。でも、家庭用ステレオのもっとも苦手とするのがオーケストラの再生です。

 どうやってみても家庭では、本物の音楽ホールの客席からオーケストラまでの距離感覚を再現することは出来ません。かなり大きな部屋でどんなにうまく装置をセッテイングしてもオーケストラはスピーカーのうしろ、せいぜい1,2メートルくらいの位置に鎮座してしまいます。意志あるもののごとく、頑としてそれよりうしろに下がってくれません。私たちが実際に音楽ホールで演奏を聴くときはオーケストラまで1十数メートル、数十メートルあるのがふつうです。その距離があってこそ、あるいはその距離をものともせず、オーケストラの迫力は伝わってきます。その一番大事な距離が家庭ではまったくとれないのです。結局、自分の椅子からスピーカーまでの距離プラスちょっとだけが家庭におけるオーケストラまでのバーチャルな距離ということになり、それが5,6メートルもとれれば幸せなほうです。そういう状態では、オーケストラの広がりもたかだか数メートルにしかならず、原寸の5分の1の縮尺模型、みたいなことになってしまいます。

 この状態でやれ低音の広がりがどうの、何のといってみたところそれは小さい小さい、ことなのです。大事なことは繰り返しますが、どうやったらオーケストラの実在感を再現できる距離がとれるかなのですから。部屋がせいぜい20、30畳くらい・・・それでも夢のよう・・・しかないようだと、一億円の装置を置いてもオーケストラを本物そっくりに再生することなと絶対無理なはずです。

 では、せめて、オーケストラ奥行きだけでも”感じたい”などと、別の、これもやや無理っぽい願望が湧いてきます。上の写真を見てください。一番手前の指揮者(これ、威厳ある頭部からみてオーマンディその人です)や第一ヴァイオリンの最前列から、左手一番奥の大太鼓まで10メートルくらいはあるように見えます。この奥行きが音として感じられてこそはじめてオーケストラのスケールが実感できるというものです。でも、前段で申し上げたように、オーケストラまでの距離も確保できないのに奥行までどうして確保できるでしょうか。そんなこと、当然、諦めるしかありません。それが現在の技術水準、見果てぬ夢です。

 でも、わたしも元はオーテ゛ィオ・マニア、ここで話を終わりにしては面子にかかわります。何とか腕づくでも奥行きを鳴らしてみせましょう。だから、もう少しお付き合いください。以下、録音について少しお話しますが、わたしは録音技術については聞き覚え程度の知識しかありませんので、誤解があってもそれは許してください。原理は正しく述べているつもりです。

 オーケストラを含め、音楽を録音するのには当然マイクロフォン(マイク)を使います。ステレオ録音には最低左右2本必要です。一番自然に近いセッテイングは、人間の耳そっくりにすること、つまり、聴衆の席、それも特等席あたりの中央にダミー人形を座らせ、その耳の位置にそれぞれ一つずつマイクをとりつける方法です。片耳、つまりモノーラルに対し、これをバイノーラルといいます。しかし、予想に反し、単純にこうやっただけではステレオ(立体)録音としては使いものにならないことがすぐわかってきました。マイクの指向性(厳密にマイクの向いている方向の音だけを録音する性質)をどう調節しても、このやり方では左右のマイクがが近すぎて左右の音の違いを識別できず、マイク1本、つまりモノーラルとあまり変わらない録音になってしまうか、あるいは逆に指向性の強いマイクを使うと真ん中の音が抜けてなくなってしまうのです。また、特等席あたりのオーケストラから適度の距離を持った位置(オフ・マイク)にマイクを置くのは、部屋の反響音などの影響が大きくて、音がぼけるなど致命的欠点も出てきます。ちなみに、人間がその位置を特等席であると感じることが出来るわけは、人の耳は直接音、間接音を補正して聴き、自分に都合の良い音響環境を瞬時にして組み立てるという優れた能力を持っているからです。マイクは忠実だけれどもアホなのです。そこで、次に考えられたのが、特等席にこだわらず、もっと演奏者に近いところ(オン・マイク)で、左右適当な距離を置いて適度の指向性を持った2本のマイクをセットするというやり方でした。これが以後ももっとも基本的なステレオ録音の考え方となりました。しかし、これでは別の問題が出てきました。オーケストラのような大規模なものを録音するとき、その最前列近くにマイクを設置すると、マイクに近いヴァイオリンの音ばかりが大きく録音され、うしろのほうの管楽器などが相対的に小さな音となってしまい、バランスを欠くからです (でも、この自然なやり方は再度評価されることになります=後述、ワンポイント録音)。そこでさらに次に考え出されたのがマイクをたくさん使うことでした。各パートの近くに片っ端から、ときによると20本以上マイクを林立させ、全部の楽器をくまなく同レベルで鮮明に録音し、後日、録音技師が、部屋にこもってそれを整理してバランス良い音楽に仕立上げるという方法です。このやり方がほぼ定着して長い間行われてきました。カルショーなど、有名な録音技師は一種の芸術家のような高い地位を得ました。なぜなら、彼らは演奏家と一緒になってよい録音、すなわち良い音楽を”作る”ことに必須の役割を果たしたからです。 でも、これでは音源の左右の位置さえ変えてしまうことも可能で、”不自然”な音楽を”作ってしまう”ことにもなりかねませんでした。そこでやがて、シャルランらこの風潮に賛成しない人たちも出てきました。彼らは次に述べるように”自然さ”を守るのが何より大事だということで、ステレオ音響をワンポイントマイク(モノーラルということではない)で捉えようとしました。特等席のよさを何とかアホなマイクを使って捉えようということです。理論的には2本のマイクを極限まで上手に使うことと同じです。オーケストラの奥行きの再現についてみれば、次のようなことになります。

  指揮者の合図でヴァイオリンと大太鼓が同時に音を出す部分があるとします。指揮棒一閃で、ヴァイオリンも大太鼓も同時に鳴ります。でも、この音は指揮者や観客席には同時には届きません。音速は毎秒約300メートルです。別の言い方をすれば、音が鳴っても300メートル離れた位置で聴けば、鳴ってから、1秒(1000ミリセカンド)後にやっと聞こえるということです。オーケストラの場合、大太鼓はヴァイオリンの10メートルうしろにあると仮定します。音速から計算して、大太鼓の音はヴァイオリンの鳴り始めから 10÷300=0.033秒(33ミリセカンド)遅れてやってきます。私たち医者は、聴診器で20ミリセカンド以上の時間差がある音を聞きわけるようにと教育されます。30ミリセカンドは誰にでもわかり、40ミリセカンドを判別できないと、心房中隔欠損症や完全右脚ブロックなどという重要な異常を発見し損なうことになり内科医失格となります。余談でした。この音の遅れの意味するものは、オーケストラでは、トゥッティ(総奏=オーケストラの全楽器が一斉に演奏する)の際、聴衆には客席に近い方のパートの音、つまりヴァイオリンの合奏から順に耳に届きはじめ、順々に後ろに位置する楽器の音が聞こえ、最後におよそ0.03秒遅れで大太鼓が「ドーン」と聞こえることになります。この時間差は無意識のうちにではあっても、誰にでも感じられているはずで、それがオーケストラの奥行きとして聴衆には受け取られているのです。

 このような自然さは、マイクを多く使うと、かえって失われる危険があります。ことによると、鮮明だけれど奥行きの少ない音になってしまい、オーケストラの各パートがスピーカーの間に張り付くように平板に並んでしまうことになりかねません。それでは困ります。目次のページで申し上げたことを思い出してください。ピアノ演奏では、まるでピアノが目の前に置かれているかのように奥行きをもって録音されていることがあります。これこそ、理想的なマイク2本、またはワンポイント録音の自然さゆえなのです。

 さて、そんな自然な奥行きを持った音がオーケストラのCDに本当に入っているでしょうか。 ありました!。

 一つ、ロリン・マゼール指揮、ウィーンフィルのj.strauss, father & son walzes (輸入盤 RCA09026 63983 2, 入手可能)を聴いてみます。第一曲目の行進曲「フランツ・ヨーゼフ万歳」でトランペットが喨々と鳴ったあと、弦と控えめな大太鼓が同時に音を出すパートがあります。このとき、太鼓が「ドン」と鳴るのが弦の鳴りはじめから20〜30ミリセカンドほど遅れているのがはっきり聴き取れます。CDがこのように録音されていることに気がついたときは感激しました。このCDはよく伸びた高音、40ヘルツの低音、指揮者でヴァイオリンの名手、マゼールが多分自身で指揮しながらヴァイオリンを弾いている(何と美しい音色!)「皇帝円舞曲」など、聴かせどころの多いCDで、収録されているどの曲にもこの奥行き、実在感があり、演奏、録音とも文句なしの推薦盤でしょう。MADE IN EU のこのCDは1500円くらいだったかと思います。安かったです。ついでながら国産CDは高すぎます。なお、これはニューイヤー・コンサートの演奏を集めたもの(2005年のものではない)、つまりライブ録音なので、少ないマイク、ワンポイント録音的に収録されたものだと思われます。

 別のCD。ドラティー指揮、コンセルトヘボウのチャイコフスキー Sleeping Beauty (輸入盤 PHILLIPS 446 166-2  MADE IN GERMANY;多分入手可能) の冒頭。文句なしに大太鼓は弦から40ミリセカンドの遅れで聞こえます。実はこのCDで、このページに書いた”音の時間差”の大切さに気がついたのです。それほどこの大太鼓の遅れは印象的でした。「こうあるべきだ!」と感じたというわけです。誰も教えてくれないので、たったこれだけのことに気がつくまでにオーディオをはじめて30年以上経っておりました。

 もう一枚、これは理想的に自然な録音かどうかはわかりませんが、これほど奥行きのある音の入っているCDはほかに少ないと思うので紹介しておきます。デュトワ指揮、モントリオール交響楽団の「ローマの松」(ロンドン FOOL-23083)。第3曲の「ジャニコロの松」はその終わりのところでにナイチンゲールが鳴く有名なパートがあります(作曲者により、ナイチンゲールの声は本物を使うようにとの指示があるそうです)。このCDのナイチンゲール。スピーカーのうしろ、さらに30メートル向こうの”遠く”で鳴いているように聞こえるのです。鳴き声が通過して来る?松林が薄暗く感じられますから、すごいものです。どうやって録音したのでしょう。この録音はオーケストラの奥行きをもっとうまく”錯覚”させてくれる何らかの手だてがあることを暗示しています。さらにおまけ。「松」第4曲、「アッピア街道の松」。これはローマ軍団が石畳のアッピア街道の遙か遠くからやってきて、やがて目の前を通り過ぎていく動きをピアニッシモ(最弱音)からフォルテッシモ(最強音)の格差で表現しています。これでかなりの奥行き感を体感させてくれます。昔、ステレオ初期の頃、電車が右から左へ前を通り過ぎるデモ・レコードがありました。あれって、まっすぐ右から左ではなく、右奥からやってきて、目の前で円を描いて左奥に消えていきませんでしたか。このCDではローマ軍団は目の前をすぎたところで曲は終り、変に軍団が旋回することはありません。作曲者レスピーギ(1879-1936)はオーケストレーションの達人と呼ばれていました。まさか現代のステレオ録音まで予知していたとは思えませんが、結果的には未来を見通していたことになります。さらにもうひとつおまけ。「アッピア街道」の重低音は疑いもなく40ヘルツ以下、部屋の空気がブルブルと振動します。あなたの部屋の低音再生能力を試すにはこのCDはもってこいの一枚です。

 「腕ずくでオーケストラの奥行きを鳴らしてみせま しょう」、と申し上げました。それは結局こういうことだったのです。そう、機械をいじることではなく、「行間を読む」くらいの意気込みでCDを聴いてくださいと。あなたにはオーケストラの奥行きが聞こえましたでしょうか。

 さて、オーケストラを再現するのに高級〔高額?)オーディオ・マニアはどうしているのでしょうか。まさか本当にオーケストラが再現できていると信じているわけではありますまい。察するに、彼らは「無いものねだり」をしていることにまったく気づいていないか、あるいはわかっていて半ば無駄を承知で無理をしているかどっちかだと思います。どちらであるにしろ、庶民感覚ではとても理解できないような巨費を投じてまで再生装置を買いあさる人々を尊敬出来ない理由はここに書いたような”認識”の上に立っております。 CD なんぞは所詮「目黒のさんま」なのです。いくらダイヤの包丁で調理してみても「さんま」には戻りません。早く自らの愚かさに気づいて、無駄な出費の一部は災害の被害者に寄付するなど世のためにも使ってください。わたしでさえ少しはそうしているのですから。ちなみに、声楽、ピアノ曲、室内楽などは私のような比較的手軽な装置でもかなり満足な再生が出来ることは既に申しました。このような、小編成の音楽を聴くだけなら、万金を投じても投じなくても五十歩百歩、オーケストラを聴くならどうやったって無理だからで五十歩百歩。つまり、何をやってもオーディオは五十歩百歩なのだということになります。音楽は裾野を拡げることこそ大切。リッチなマニアをおだてるのは幇間とおなじ。そうは思いませんか、菅野沖彦先生!(註)。   (註;録音技師、兼オーディオ評論家のボス的存在)

大事なのは何事も自分の人生と感性次第。そして分相応かどうか。結局はそれだけのことではありませんか?

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